今回ピンピントラベルは台湾の原住民の一つタイヤル族の生活の一部を体験させていただきました。彼らとの交流を経て、私が何を感じまた何を学んだかについてしっかりと丁寧に皆様にお伝えします。記事は長編になりますから、前半後半と二回に分ける予定です。忘れられた集落、タイヤル族の昔と今をどうぞお楽しみください。
コンテンツ
タイヤル族
タイヤル族は台湾中部から北部の山間部にかけてかなり広く分布して生活しています。
その分布範囲は東は花蓮県、西は東勢、北は烏來、南は南投県仁愛郷にまで及び、台湾原住民族のなかで最も分布範囲が広い部族です。
台湾の国土面積は大体日本の九州と同じですから、福岡県佐賀県南部から大分県全域、熊本県の東部に分布しているといえばわかりやすいかもしれませんね。
タイヤル族の人口は台湾原住民のなかでも三番目に多い約89600人と推計されていて人口は毎年わずかながら増えています。
ちなみに台湾政府が公認している原住民の種類は全16種族で、一番多い部族が 阿美族で台湾原住民全体に占める人口数の割合は37.3%の最多であり、次点が排灣族の17.9%になっています。
いずれにせよ原住民の台湾の全人口における割合は2.3%に過ぎませんから台湾での完全な少数民族といえるでしょう。
タイヤル族の風習
タイヤル族の男性は勇敢で狩猟に長け弓を使って猟をします。
また女性は布織りや耕作、山間部での植物採集で生計を立てています。
狩猟が上手な男性は刺青を顔に大きく彫ることが許され、布織りがうまい女性が栄誉の証として顔に大きな刺青を入れることを許されました。
ただその刺青を顔にほった最後のタイヤル族の女性は2019年の9月になくなってしまい今では写真でしかその風習をみることができません。
また刺青の文化があった同時期に、首狩りが盛んに行われていましたが、日本統治時代に厳重に禁止されてからこれらの習慣はなくなりました。
われわれ日本人が知らなければいけないことは、日本統治時代に台湾総督府と原住民たちとの激しい抗争がたくさん行われた事実です。
日本政府の統治をきらい激しく抵抗した原住民のなかでもタイヤル族との抗争は苛烈を極めその時に戦った部族のかたは今でもかれらにとって英雄として語り継がれています。
台湾の歴史に興味があるかたは、霧社事件ということばで検索してみてくださいね。
相手の部族はタイヤル族ではありませんが、日本統治時代におこった原住民との最大で最後の衝突です。
さてタイヤル族の説明はこれぐらいにしておきます。
今回の特集では学術的にタイヤル族を皆さんに紹介するつもりはありませんからね。
次からは私が実際かれらの村通称忘れられた集落にいったときの様子をたくさんの写真とともにご紹介します。
恥ずかしいですが、私の顔もこのブログで始めて公開しますねwww
落水部落
今回私が訪れた場所は、台北のとなりの県、「宜蘭県」からさらに山岳地帯に入った場所にある一つの集落です。
名前は忘れられた部落、「落水部落」といい自然がたくさん残る綺麗な場所でした。
かつてに狩猟や織物では生活が苦しいことから彼らは林業を始めますが、それも斜陽となりいまでは彼らの主な収入源は、主に農業へと変わっています。
実際この集落を見ていると稲田や畑が多くあり、とくにお米は二毛作が普通の台湾で一年に一回だけ収穫を行い、付加価値が高い高品質のお米を作っています。
村についたら早速民族衣装に着替えます。
赤を基調にしたかわいらしいデザインの布は現代でも通じるデザインだと思います。
モデルは個人的な友達兼イベント製作会社に勤めるルーちゃんです。
今回の企画も彼女が勤める会社が地方政府の要請を受けて旅行会社等に案内するために作成したものです。
かつての名残を体験するためシールでできた刺青を顔に張ります。
水につけて頬に貼り付け、乾いたら外の紙をはがします。
一緒に参加した旅行業関係のかたがたと記念撮影しました。
参加者は若い人が多いなという印象で、台湾でも復古主義というべき現象があるのかもしれませんね。
さてお着替えも済みましたし、まずは原住民のお料理をいただきましょう。
このブログは食レポなので、旅行企画であってもしっかりと食レポはしますよw
タイヤル族の料理
山の幸、川の幸と一般的な台湾料理とそこまで大差がないと最初感じましたが、説明をうけてなるほどという食材もあり有意義な食事になりました。
ただ台湾の旅行会社のかたとの食事の席で日本人代表として粗相するわけにはいかず、私の前のおかずしか写真がとれなかったため、おかずの食レポはこの全体の写真をつかってしますねw
また魚は食べていませんから食レポできません。。
まず写真右上のオレンジ色の食べ物はサツマイモです。
そのサツマイモを蒸しただけの簡単なお料理です。
味付けは何もついていません。
原住民のお食事は基本こったものはなく、かつては調味料も塩のみだったそうです。
彼らの考えでは自然のものは自然にまま食べるのが一番おいしいということであり、たしかにこのお芋さんは甘みがあっておいしかったです。
次に紹介するのは筍の炒め物です。
こちらはさすがに伝統的な原住民食ではなく現代風にアレンジされた鍋をつかった台湾料理で台北で食べるものと大きな差はないです。
ただやっぱり薄味で個人的には好きな味付けですね。
またいい忘れましたが、今回のお食事で化学調味料は料理全てにまったく入っていませんでした。
なすびを唐辛子で炒めたお料理です。
こちらも台北の熱炒と大差はありませんでした。
豚肉とトマト、バジルの炒め物。
今回唯一のお肉料理です。
トマトの甘さとお肉のうまみ、バジルの香りがマッチしたご飯がすすむ一品でした。
タイヤル族のかたはかつて狩猟で生活していましたが、彼らにとっての最大のご馳走はいのしし肉です。
いのししは他の動物と比べて気性があらく狩が難しいだけでなく命を落とす危険があったためより貴重なものとして扱われていました。
現在は猪肉もとれますが、彼らは銃による狩猟はしないためなかなか取れないのが現状で、いつもは手軽に買える豚肉を食べているみたいです。
彼らが猪肉とは別に猟をして食べるお肉には、山羌(鹿に似た動物)、山鼠、モモンガ、があります。
鹿は狩猟が禁じられているため食べられないみたいです。
あとおかずとは別にスープがつきます。
鶏肉が入ったスープでこちらも薄味ですが、調味料に台湾の原住民のかたが好んで使う「馬告」という少し檸檬の香りがし味は胡椒と山椒の中間のような変わったものを使っていて個人的には興味深かったです。
調べてみると最近ではスーパー食材としてひそかな注目を集めているみたいですので気になる方はこの調味料はこの部落で販売していますので購入してみてはいかがですか。
こちらが先ほど説明した原住民のかたが作った香りがいいご飯です。
実際ほかのものとくらべて少し甘い香りがし、彼らが言うにはタロイモの香りがするんだといっていました。
こちらも部落で販売していますので気になった方はお土産にどうぞ。
資料用に撮った写真ですが、一応ブログにも載せておきます。
内容はこの部落の説明ですが、こちらの部族のかたと日本人との軋轢は、誤解から始まったみたいで少し悲しいですね。
簡単に説明すると、彼らの病状のチェックと防疫のため村を訪れた日本人医師がお土産として味噌と醤油を持参して渡したのですが、彼らにとって醤油や味噌は初めてみるもので、醤油は人の血に、また味噌は排泄物に見え、侮辱されたと思いその日本人医師を殺してしまったところから抗争が始まったと書いています。
さて前半はこれまでとします。
後半では実際山にはいって実際に狩猟はしませんがその雰囲気を味わう体験をさせていただきました。
こちらも見所満載ですのでお楽しみください。